緊急事態宣言下、自宅で自粛されてる皆さん、画でも描きませんか

緊急事態宣言下、自宅で自粛されてる皆さん、画でも描きませんか

債務免除と再建の話が終わり、しばらくお休みしていました。

2月の話ですが、丁度コロナの影響が国内に現れたころ、先行した他国の状況を見て、外出を控える時期が来るかもしれないと思い、自室で画を描くことを思い立ちました。NETで調べていたら液晶タブレットを使った簡単な設備で可能になると!、これは良いなと、早速Amazonで注文しました。早々に液晶タブレットが届きパソコンに接続しましたが、動きません?電源は入るが画の画面が出ない!

説明をろくに読まずハードだけ買ってしまいましたが、実は絵描きソフトが無いと只の廃棄物のようなものと分かり、とりあえずNETで評判など調べた結果Clip Studio Paintというソフトの人気が高いことが分かりましたので、購入しインストールしました。これもよく読むと漫画・アニメに強いソフトで、私の様に大した知識も絵心も無い者は、肖像画や風景が描ければ十分だったけど、少し勝手が違った様です。いろいろ操作して機能を使ってみましたが漫画やデザインなど2次元的なものは奇麗に描けそうで、デッサンも出来ます。ただ、水彩画は、色を混ぜたり、滲ませると感じの違ったものになって、これは大変苦手です。

いろいろいじって幾つか有名人の顔を描いてみましたが、そのうち1枚と旅の思い出と猫を展示します。素人がはじめて描いたものですが、機械が良いせいかそれなりに描けました。皆さんもこんな時期ですから、自宅で出来る趣味を見つけてみては如何でしょうか。

旅の思い出

猫です

                                          2020年5月9日 飯野孝之

債務免除と会社再建 完

債務免除と会社再建 完

 政府系金融機関が当社に対する態度を明確にした事で、メイン銀行も態度を明確にしてくれました。1月になり、金融機関に説明する資料が全て出来上がり、弁護士、社長、私の三者で金融機関に資料の説明とこれからの動きについての説明に行きました。弁護士先生は調停の開始時期や調停期間などについて金融機関に丁寧に説明し、始めの儀式は無事に終了しました。会社としては初めての事件ですが、つくづく弁護士先生の有難みが分かりました。

 これから債務免除の話し合いが始まる事から、銀行の手形割引は出来なくなりました。事前に支援先にお願いした手形担保による運転資金の融資と、回し手形で支払いをしのぐことになります。

 1月の中旬に調停が始まりました。裁判所から通知が送達されたと金融機関から連絡を受けまして、いったいどんな事になるのか好奇心が湧いてきました。この頃になると、裁判所の決定を貰うまでは不渡りだけは絶対に出さない、それ以外は考えない様になりました。

 調停の方法は、裁判所が使命した調停委員(正式な呼び名は忘れました)によって行うのですが、調停委員の前で我々と金融機関の方々が話し合いをするのではなく、我々と調停委員、調停委員と金融機関という様に個別に行う方法でした。そのため、かなり精神的に楽であったと記憶しています。我々の主張(お願い)を資料を基に説明し、金融機関と話しあった後に呼ばれて、調停委員から相手の主張を聞く、この繰り返しをしながら更に債務免除に向けての条件を煮詰めて行く、これが7月までの7カ月間続きましたが、当時は本当に6ヵ月程度で終わるものなのか見当も付きませんでした。

 その間の資金繰りは最悪の状況で、回し手形は嫌がられ、自振手形が割引けないなど苦情もあり、現金は落とす日まで確保しなければならないし、本当の自転車操業と言う感じでした。手形は裏書の枠が無くなって、コピーで新たな枠を糊付けして押印したことは何度もありました。業界全体がそんな状況に置かれていたのです。

 調停が進むにつれて金融機関のベクトルが揃ってきました。6月になると条件が出尽くし、文章に纏められるほどになり、いよいよ7月で終わりそうな雰囲気が出てきました。その時の資金繰りが一番の問題で、7月末で2億円位の手形を落とさなくてはならない事が分っていたので祈るばかりでしたが、運命の日の7月20日、長かった(私には)調停が終了しました。結果は概ね予定通りで、裁判所からの正式な通知は後日ではありますが、発表できる状況になり、私は社長と支援先にそのまま向かいました。ホットしたのもありますが、今月落とす2億円の資金が無いので、融資をお願いするためでした。結果を聞き、支援先の責任者は2億では心もとないので、余裕をもった額の融資を約束してくれました。

 その後は、買われた会社の運命で、資産売却などの残務整理が終わった頃、総務・経理は全員支援先社員と入れ替わり、私を含め工場の勤務に回されました。私はかなりの楽天家で製造部門も経験できると、当時はさほど落ち込まなかったと記憶しています。

 その2年後、私は50歳で転職することになりますが、今思えば、普通じゃあまり経験出来ない面白い事をしてきたと、きっと何かの役に立つだろうと、こんな具合でした。

 思い出ですが、貸借対照表を作り直した会計士の先生が、「飯野さん、もし会社が倒産したら会社清算のやり方を教えてあげますよ」で、私は「それは面白い」と返した事を覚えています。つくづく私は楽天家なのでしょう。

 これで、債務免除と会社再建の話は終わりますが、最後に、債務免除=会社再建ではないという事をお伝えします。債務免除は単なる手段で、黒字経営になって初めて再建が終わったと考えてください。

 このHPで、私の長い話を最後まで読んでいただき有難うございました。経験談ではありますが、皆様の何かのお役にたてれば幸いです。

                        完 2020.02.13 飯野孝之

債務免除と会社再建について その8

債務免除と会社再建 その8

 日程が決まってきますと、仕事が忙しくなりました。そうでなくても金融機関へ月2回足を運び、月次決算の見通しや実績報告を行うなか、最も神経を使う資金繰りが困難になってきた時期でもあります。今は平成11年の11月、9年初めから月次決算が損失に変わって以降、今日に至るまで一度も利益を計上していません。いまや減価償却費(相当)を頼りに日繰りを行っている状況なので、営業が少し大きな受注を貰ってくると、資材仕入から生産・資金回収までの期間資金が寝てしまい、良い話であっても現実の資金繰りが難しくなるという状況でした。

 会計士による決算書類の精査が始まりました。継続を前提に出来ない企業環境下での作業なので、会計士さんから「作業が終了して支払いが終わるまで倒産しないでください」と冗談とも取れないお話がありました。また、会計士さんにとっても調停の中で使われることが前提なので、正確というより、確信が持てないものは評価せず的な雰囲気がありました。大きいものは在庫と売掛金です。在庫については品目単位に精査して7割以上が不良在庫(ゴミ?)で決算書から落とされましたし、売掛金は債務者全てに会計事務所から通知し、その反応と営業担当のヒアリングから、これも相当額不良債権と認定され落とされました。債権者についても計上漏れがないか、同等の処置がなされました。古い記憶となりますが、最終の貸借対照表が出来上がり説明を受けた時の純資産は、12億円以上の債務超過となっていたことを覚えています。これで金融機関から要求された一つの資料が完成したのです。

 私の担当する、リストラの実態を時系列でまとめる作業と、債務免除後の支援計画については支援先と話し合いをしながら進めています。ただ、支援先は支援内容を文書で出す事を嫌っているので、再建計画書のなかで表現方法に工夫が必要でした。

                       つづく 2020.1.4  飯野孝之

瓶でスピーカーを作りました

 債務免除と経営再建のお話は1回お休みして、ここ一週前に完成したスピーカーの報告をします。

 偉そうなことは言 えないのですが、安くて簡単に出来て、音もそれなりのコスパの良いものに仕上がったと思います。写真の白い寸胴の固体がスピーカーです。エンクロージャーのキットを通販で買うと高いし、自分でカットすればそこそこで作れますが良い音になるか心配です。そこで、単純な発想で瓶のスピーカーとしました。完全密閉型になります。材料費だけ上げると、胴体は果実酒漬の8L瓶(1瓶1,300円×2)、スピーカーは9.5cmフルレンジ(1個4,250円×2)で瓶の口に合わせるとこのサイズが限界、瓶の詰め物はホームセンターで断熱材1個(360円で半分使用)、スピーカーの取付板はMDF材を100均で1枚、胴体に巻いてある白い布は100均の食器敷き(100円×2巻)で合計12,000足らずの出費となりました。コードと接着剤は余りものです。特段注意したところは、詰め物は入るだけ詰める事と胴巻きは瓶の露出が無くなるまですることでした。ガラス瓶は木と比べ密度が高く機密性があるのですが、壁が薄いのでいくら詰めても共振して外に漏れるようです。それを防ぐために胴巻をしました。

 これを読んでいただいた皆さんの中で関心があったら瓶のスピーカーを製作してみませんか。容積があって気密性高いなら陶器(壺)でも良いかもしれません。音の善し悪しは主観ですから、私は満足しています。音質については、始めに記載したハード構成ですから多くは望めませんが、音域は女性ボーカルが合っていると思いますし、Jazzなど少人数構成には向いていると思います。上に向けて使っても横に倒して使っても違和感はありません。

次回は「債務免除と会社再建」に戻ります。今回もお読みいただきありがとうございました。

2019.11.8 飯野孝之

債務免除と会社再建 その7

政府系金融機関での指導を受けて、やらなくてはいけない事が具体的になってまいりました。

この話を社長(オーナー)に報告し、その後、顧問弁護士 、顧問税理士同席で詳細を説明しました。正確な貸借対照表については監査法人の保証を求められています。リストラについては詳細なデーターがあるので時系列にまとめられます。オーナーが会社のためにどこまで私財を犠牲にしたのかについては顧問税理士にお願いしました。弁護士には特定調停申請の準備をお願いしました。ここで、税理士から、債務免除の為の調停を正式に始めると手形割引は出来なくなるとの意見がありました。なるほど、債務免除をお願いし、それで手形を割ってくれは無理な話です。とは言っても、落ちるまで(90日~120日)待っていたら資金はショートしてしまいます。

 社内で話が煮詰まって来たので支援先に現状報告とお願いに行きました。特にお願いすることは2点、1つは債務免除が実施されたのちは再建支援を実施すると言う確約を要求された事。これについては、文章を出すことは出来ないとの事ですが、調停が始まれば裁判所で口頭で話すとの言質を頂きました。2つ目は、銀行での手形割引が出来なくなるので回し手形をするが、企業の信用度の低い手形は大手が受け取らないので、御社の裏額が欲しいとの依頼をしました。これは、支援先が上場会社であることを理由に断られました。それなら、手形を譲渡するからその分で金を貸して欲しいと再提案し、渋々ですが上限を決め貸して頂ける事になり、最初の難関を突破しました。

 そうしているうちに顧問税理士から貸借対照表の監査をして頂ける会計士を紹介いただき、正しい貸借対照表の為に決算をやり直すスケジュールが出てまいりました。一方、弁護士からは調停を申し込んで半年くらいで終わらせる計画であるとの日程が提示され、合わせて全体の日程作成が行われ、裁判所への申請を行うのを平成12年1月と決めました。もちろん、全金融機関に事前説明はいたしますが、その時までに資料を作らなければなりません。今は9月、あと4か月余りしかありません。

つづく  2019年10月

債務免除と会社再建 その6

 弁護士さんが加わった分けですが、法律的な話になるまでは社長と相変わらずの二人三脚です。先ず理解を得たい先はメインバンクですが、「支援先が出来たのなら全部肩代わりさせるよう交渉しなさい」と言うほどですから、次の進め方を組み立てなければなりません。その後資料を揃え支援先との調整をしたうえで再度メインバンクに行きましたが、「ほかの金融機関が免除するなら当行も反対しない」が、得られた回答でした。他行にゆけば「メインバンクは何と言っている」と聞かれるし、進展がなかなかありません。

 もう一つの悩みは、借入先に政府系金融機関があり、本件は絶対に認めてくれないという先入観が我々にあったので、怖くて話を持って行けません。そこで、大蔵省(当時)から金融機関に入り役員を退任された方を社長が紹介を受け、本件を相談することになりました。腰の低い方で丁寧に応対して頂き、その方が言うには、「民間が協力してやろうとする時に政府系はダメだとは言わないから相談に行きなさい」でした。この話に勇気付けられ、早速社長と金融機関に伺い支店長と担当者と4人で話をしました。資料を揃えていたので、支援先の条件や具体的に言われた事、赤字が続き資金繰りが危機的状況である事、貸借対照表には大幅債務超過になる不良債権を含んでいる事、等を全て正直に話しました。支店長は大いに怒りましたが、最後にこの案件を審査室に回すので直接行くように指示をされ終了しました。帰り際に「本件無事に終わって会社が再建して又取引が始まればいいね」との声を掛けられ、もっと早く来ればよかったと、しみじみ社長と話したものです。

 翌日に審査室に伺いますと、詳細な連絡が付いていて名刺交換しただけで直ぐに本題に入れました。ここでは債権償却を行うために必要なすべてを教えてくれました。それは、債権償却は1回しかできない。だから、信頼できる支援先が実在し、債権償却後に支援先が経営の再建を完了できる保証が必要であること、その上に、3つの資料を作成する事を言われました。

1.正しい貸借対照表

2.リストラなど考えられえる手はすべて打ったという実績の詳細報告書

3.社長の資産と会社取引から、会社の為にどこまで私財を入れたか調査する

その上で、債権償却で税金が発生しないよう裁判所を介す特定調停法で処理すること、でした。平成10年頃には、サラ金からの多重債務者の存在が社会問題になって、注目を集めた法律です。これを株式会社で使おうという事です。

2019.09.10 つづく

債務免除と会社再建について その5

 支援先の大企業に身売りする。自主再建を諦めたことは、私には衝撃的でした。後日この説明を支援先で正式に受けることになり、社長と2人で訪問しました。支援先の責任者は常務取締役でした。なぜ支援をするかと言うと、当社が身を置く業界には見えない参入障壁があり、部外者が時間を掛けて参入するより会社を買収した方が簡単という理由でした。しかし、支援先の出した条件は、当社の借入金約24億円の30%の約7億円は資本として入れる代わりに、残りの17億円は金融機関に返済を放棄してもらう事でした。7億円を入れる時には借入金はゼロの状態にすることが条件の全てでした。

 帰社して、顧問税理士を加え3人で今日の話を整理しました。金融機関の借入金には根抵当が付いていますので、それを売却し返済に充てて残った銀行債権を放棄してもらう、こういう話であると認識が出来ました。でも、担保となっている土地は、バブルの崩壊の十数年後の今では価値は当時の3分1もあればよく、ほとんどは金融機関からの債権放棄を期待するしかありません。

 考えることはここまでで、早速メインバンクに社長と相談に行きました。何の案も論理組立も無く、こういう話があったという事で銀行に持って行ったことは、話をややこしくします。早速銀行は、「大変いい話だ。支援先が有るなら全部肩代わりさせるよう交渉しなさい」でした。当然の回答です。メインバンクと言え軽率に情報を流さないほうが良いという事を知りました。

 社長の考えで、金融機関との交渉には専門の弁護士を使ってゆく事になり、社長の人脈で相応しい弁護士の目途が付き、2人3脚で動いてゆく事になりました。総務部長の私が3者の調整役となり、全ての情報を集め管理することになりました。

つづく 2019.08.04

債務免除と会社再建について その4

いつになっても利益が出ない

 利益の出なくなった最大の理由は業界の縮小ですが、実はもう一つ大きな原因で損が膨らんでいったのです。

 売上が一時的に100億円に達した会社ではありますが、社内組織や開発品質、製造品質につては大手にはとても及びません。そんな企業体質の中で、希望退職の始まる半年ほど前に、お客様2社に設備施工しました新開発のシステム商品が、一日数回も止まってしまうと言うクレームが起きていました。施工先の会社では、停止すれば一般の消費者が利用できなくなり顧客の信用も含めて大きな損害が出ます。全社挙げての対応の為、少ない製造部から数十人が2社に常駐することになり、その経費負担に加え、不具合箇所の設計変更・生産を最優先としたことで、出費に歯止めが掛からない状況になっていました。

 このままシステムが停止すれば売上の回収はおろか損害賠償の請求問題になってしまいます。この問題は、全て解決するのに1年余りの時間が掛り、その出費により、良くない財務体質が極端に悪化することになりました。

 現金が減りながら利益からの補填が無いので、借入金の約定通りの返済はこれ以上は出来ないと結論し、金融機関に相談に行くことになりました。対象は5金融機関、先ずはメインバンクに相談に行き、そこで全ての銀行は同一条件で返済は一斉に止める事と担保資産の売却はしないなら良いとの返事を頂き、その条件で各金融機関にお願いに回り何とか呑んでもらいましたが、都銀は本部の力が強いのでいつまでも待てないとの話があったのを覚えています。

 月末に現金の支払いが一部の仕入れ先に出来なくなり待ってもらうとか、回し手形で決済をお願いするとか、利益の出ない時期が永久に続くような毎日を過ごしながら2年が経ちそれでも資金ショートは起きません。借入金の返済が止まっているので、新たな借り入れは出来ないのですが(もっとも担保も無いので)、メインバンクが手形割引については認めて下さっていたので何とかしのいでいる状態でした。

 この頃つくづく、月次で赤字になっても原価償却の分だけ資金繰りに有利になっている事が身に染みて分かるようになりました。正に資金繰りだけで会社が活かされている様でした。資金が底を尽き始めて、一時的な資金の需要に対して社長の人間関係を頼りに1~2か月の短期借入などで対応しているころ、社長から呼ばれ思わぬ話を聞きました。それは、これ以上の自力再建を諦めてある大手企業に身売りすると言う話でした。

つづく

債務免除と会社再建 その3

債務免除と会社再建 その3

 総務部長になって、いの一番にしなければならない実務は資金繰りでした。当社の総務部は、総務課と経理課で構成されていましたが、この希望退職者募集でベテランの総務部長までが退職したという事は、資金繰りが相当にきつくなった事を暗示させました。予期せぬ退職の為に、社長が経理を任せられる人物を外部に求めたものの、適正者が確保できなかったのが、私が総務部長に任命された理由でした。

 さて、最初の仕事が資金繰りですが、その時点の試算表や預貯金残高の状況を見るにつれて、即刻日繰り表で管理しなければならない段階にあることを自覚させられました。その理由は、預金が銀行に有るにはありますが、拘束されていて使えない事がわかったのです。実際、当時は、金融機関より融資を受けるとその何割かを定期にして担保として差し入れする慣習があったのです。(20年以上前の事です)そして、その拘束預金は金融機関への返済が滞った場合、一方的に預金と借入金を相殺できると言うものでした。ですから、ひも付きの預金を外した純粋に使える現金を割り出すと、情けなくなるほどの少額しかありませんでした。しかし、当社とその取引先の多くは手形決済が普通でしたので、一度でも不渡りを出すわけには行きません。私の覚悟は、私のミスによる不渡りは絶対に出さないことでした。

 日繰り表は手探りでした。手形の落としを含め支払いについてはかなりの精度で作る事が出来ましたが、肝腎の入金については不明な事ばかりでした。当時は、売掛金の回収は全て営業社員の仕事で、販売先が全額振り込みとなる場合はせいぜい数十万円規模のものでした。ほとんどが手形(回しも多く、裏書が足らず紙を付け足したものもあるほど)か小切手でした。どちらも厄介なのは、貰って現金化するのに数日かかる事でした。自社の振出手形の落としは15日と月末日、相手から貰う手形は、月末日の営業社員の回収に頼っていたので、一時的に資金不足に陥るのは避けられないのです。

一つエピソードを書きます。

東北のお客様の数千万円の売掛金の回収で、契約書には支払い方法は現金とあり月末日営業社員が訪問し受取ることになっていました。勿論この額を現金で持ってくることは無いので、振込みのお礼を言うための訪問と思っていました。実はこれが無いと不渡りの可能性が大きくなるのでした。10時過ぎ、入金の確認をしたところ振り込まれていません。慌てて担当に電話を入れました。

私「どうしたの、待ってるけど」

営業「もう、貰って帰る途中です」

私「振り込みじゃないのか」

営業「小切手貰ったので今晩には会社に持って行けます」

完全に小切手を現金と思い込んでいる営業担当でした。今日は月末日、銀行システムが手形を落としているので現金が有るところまでしか進んでいません。どうしよう!で

私「直ぐお客様の所に戻って、あなたの貰った小切手の横線を届出印で消して貰って、そのまま振出し銀行に持込み現金化して、会社まで振り込んでくれ。このままでは不渡りになる」

実際は、もう少し仕組みについて話して、彼が賢い社員であった事もあり、お客様との関係も良かったので、それから一時間位で客先に戻り、指示通り横線を消していただき、銀行に着いたのが午後1時、救いなのはその銀行が都銀であり、取引銀行であったことで数千万円の入金がほどなく確認され、残りの手形を落とすことができました。

貧すれば鈍するって、良いときは誰も気にしない事が、これも私の貴重な経験となりました。

つづく

債務免除と会社再建について その2

債務免除と会社再建について その2

 業界規模が急激に縮小した理由については触れませんが、結果として対応を迫られることになった分けです。当時の当社は優良会社で損益分岐点は売上高の80%位でありました。ところが、売上高100億円が翌年60億円に落ち込んだので、分岐点から更に20億円マイナスした分けですから、限界利益率(45%位)からみて9億円の赤字という事になります。実際は期中で希望退職を行った為に人件費が減少した事と、退職金の増額分が発生したことを相殺して計画より少ない赤字額(決算上の表示)となりました。しかし事業の維持に必要な手持現金は赤字額以上の減少になり、そのころ、当社は最大期日125日の手形を仕入れ先に振出していたこと、また売上高の半分以上が手形回収であったので、この事が、その後の運転資金の確保にボディーブローのように効いてくることとなります。

細かい話になりますが、希望退職の実施計画が固まり、ハローワークに相談に行ったところ、40人以上の退職が有るなら届を出すよう言われました。失業保険や求人の申請に早く対応するための処置だと説明を受けましたが、やってみるまで人数は分からないので適当に書いて出した様に記憶しています。

希望退職について、計画の策定は5月頃に開始して6か月後の11月に実施したのですが、最後まで退職希望者は予想がつきませんでした。希望者が沢山出るように退職金を上乗せしもしました。その頃には毎月月次損が出て、現金残高の減少が気になっていました。私の立場は企画課長なので、経理の心配より希望退職者が予定の人数まで(超えても困る)出てくれる事だけ考え、社内外の手続きの準備に追われる日々が続きました。

 社内の発表は突然という事になりますが、取締役には夫々役割をお願いするので事前に調整しました。また、社員による個人攻撃がなされることを恐れ、コンサルタント会社を入れて善後策を頻繁に打合せしました。そしていよいよ11月発表をすると、景気が悪くなっていたことを肌で感じていた社員は、ついに来たと受け止めた様でした。更に会社が退職金の分割払いを発表した事から、泥船から逃げ出すように、役職の高い人、就業年数の多い人から名乗りを上げて、結局130人を残して退職が完了しました。この結果、部長、次長はゼロになり、課長も2人残して会社を去りました。会社組織を維持するために、残った技術課長を技術部長に、企画課長を総務部長に昇格させ、困難の状況をしのぐことになります。

つづく